[戻る][TOP]


 縄文を旅する1
 中部地方2 火焔街道を行く1     2013.0521(火)~25(土)

        縄文旅の情報集めに、博物館発信の情報は、全く役に立ちません。
        ブログ等の見学記録を使って、有名な展示物や見どころを調べます。

          例:真脇遺跡縄文館木柱列の再現はわかるが館内の展示物は「お魚土器」等だけわかる。
            付属の宿泊施設が途方もなく高額なのもわかる。
            これでは、価値がわからないのに、旅のコースには選べないでしょう。

       日本中のあまたある博物館の殆んどが閑古鳥が鳴いている。
       唯一、ブログの見学記録だけが、博物館を紹介しています。
       博物館がもっと良い情報を発信提供すればいいのにね。
       
    注 写真データが大きくてダウンロードに時間がかかります。
        
    注 写真をクリックするとフォトフラッシュ(ver.10)が開きます。ページの下に、↓こんな表示が出たら、↓許可を押して下さい。
       
         無料フラッシュプレイヤーはAdobe Flash Playerで入手できます。    
 

 新潟県立歴史博物館      2013.05.21(火)
                         新潟県長岡市関原町1丁目 字権現堂2247番2 0258-47-6130
  大失敗しました。

   この博物館の縄文展示は大変優れています。

  単に出土物を陳列するのではなく、縄文時代の生活や文化、技術、日常、精神世界までを
  大量の出土資料と、再現。そして、パネルで 明らかにしようとしています。

  パネルには大変重要で興味深い事実や考察がまとめられていました。
  しかし、私はそれに気付かず、あとで写真で確認しようと簡単に済ませました。

   後に、写真で展示物や、パネルの内容を丹念に見ていくと、
   縄文についての、私の疑問や、知りたいこと。更にもっと深い知識や考察など、
   重要な情報が満載だったことがわかりました。

   が、写真は不鮮明につき理解不能。博物館の真の価値を伝えられる写真は撮れていませんでした。

   ぜひ、みなさんがご自身で登館されることをお勧めします。
新潟県立歴史博物館旅の最初の訪問地。正直、期待せず。しかし、知る限り、最も素晴らしかった。 縄文村の再現つい最近まであった日本の田舎と同じです。縄文文化は完成度が高く近代まで受け継がれていたようです。 縄文探究中国北部から高度な漆文化人が来た証拠。
改めて高度な文化に驚かされる。
 土偶ヨーロッパや北方ユーラシアの文化と、南方系の五穀豊穣の祭祀を分けて考えよう 不思議な道具 近年まで、男根や女陰は、神や道祖神。明治以降排斥遺棄され、安曇野市などは別の物に変えられた。
火焔土器鮭が豊富に捕れ、人口が多かった信濃川流域発達した見事な装飾土器。技術力も創造力も高く、縄文中期の爛熟した文化が伺えます。 火焔土器の制作過程これを見れば誰でも火焔土器を作れます。ただし左右対称縄文の法度  縄文の木柱弥生(朝鮮文化)の立柱斎串(いぐし)と似た風習で、どう区別したらいいのか。 漆塗りの 装身具縄文時代にも、北方だけではなく大陸からも来る者が沢山いたことがわかる。 通過儀礼東部アジアの新石器人の大移動が、大陸から、台湾や日本列島にも共通の、風習をもたらしたことがわかる。